126523 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

ニンジンじゃないよ、ンジンだよ。

ニンジンじゃないよ、ンジンだよ。

生霊編

 まだ残暑の厳しい暑さが篭る体育館の中で、体育館シューズと、バスケットボールによるドリブルの音が響いている。
 目に入りそうになる汗を拭い、俺は視界に入る敵と味方の位置を確認する。ボールを持っているのは春樹だ。
 俺と春樹は一度視線を交わらせ、互いに息を合わせる。そして、俺が一気に敵陣に走り込む。
 すぐマークが着こうとするが、もう遅い。春樹からの鋭いパスを受け取った俺は、レイアップでボールをゴールに入れた。

「ナイッシュ、竜胆」
「ナイスパス、春樹」

 俺は佐渡竜胆。赤川高校に通う高校二年生だ。時は九月、長いようで短かった夏休みが終わり、始業式を迎えたばかりである。
 溜めに溜めた宿題を夏休み終盤、連日の徹夜で終わらせたせいか、どれだけて寝ても寝たりず、始業式後の土日で気分的には一年ちょい寝てたような感じになったが、最近ようやくいつも通りの体調に戻ってきた。
 今、俺にパスしてきたのは、自ら立ち上げた写真部に所属する、友達の藤宮春樹。普段は眼鏡を掛けているが、体育の時間は危ないとの理由で使い捨てコンタクトにしている。眼鏡姿に慣れてると、なんか新鮮だな。
 バスケに限らず、俺と春樹はスポーツにことおいては器用貧乏、人並み程度の腕前を持っている。更に、俺達の連携は完璧。流石に運動部には勝てないが、体育の授業では十分通用するレベルだ。

「時間的に次がラストチャンスだ、頼むぜ竜胆」
「おう、任しとけ」

 味方からのパスを受け取った俺は、春樹とボールを回しながら、再度敵陣に切り込んでいく。
 相手は俺がまたシュートを打つものと思って構えているが、残念、次に打つのは春樹だ。シュートと見せかけ、春樹に素早くパスを出す。よし、これでもう二点。

(りんどぉおおおおっ! 助けてくれぇ!)
「うおっ!?」

 そして、何の前触れもなく、地面から拓人の顔が生えてきた。
 予想外の事態に面食らい、俺の意識は完全にそっちに逸れる。
 次の瞬間、

「竜胆っ!」
「は?」

 ゴキュリッ




 ん、んー……あ? なんだ?
 薄目を開けると、目に入るのは白いカーテンで、クーラーのひんやりとした空気が流れてきて、俺はベッドに寝かされてて、頭には氷まくらが……どうやらここは、保健室みたいだ。
 ……何で俺は保健室にいるんだ?

(せやから、ワイの好みはボンキュッボンのお姉ちゃんや言うとるやんけ! 嬢ちゃんみたいなつるぺたのガキにはなんっも反応せんわ!)
(あっ、今のひどくない!? ユト、これでも十六なんだけど!? それに、嬢ちゃんじゃなくて、百年! 百年と書いて、ゆとせ、と読むって言ったじゃん!)
(そないなややこい名前、覚えられるかい!)

 うるせぇ。
 起きてそう一喝してやりたいところだが、ここで俺が介入すれば、火に油なことになりかねない。その上、誰がいるかもわからないこの状況で大声を出せば、何事かと騒ぎになるかもしれない。
 とりあえず、こいつらが落ち着くまで寝た振り――

(あ、竜胆! 起きとるんやろ!? 狸寝入りすなや!)

 ――が一瞬でばれた。
 仕方なく俺は身体を起こし、ベッドを挟んで言い合いをしていた二人を見る。
 一人は見知った顔だ。なんだかんだ言って長い付き合いになる森島拓人。幽霊であり、生前はフリーターだったが、交通事故で命を落としたらしい。シャツにジーパン、それと、ペイズリー柄と言うらしい白い模様が入った、よくある赤いバンダナを、頭を覆うように巻いていることが特徴的だ。この辺りじゃ珍しい関西弁を話し、快活な性格なので、幽霊の中でなかなかの有名人だとか。
 そう、俺には世間一般で言う、霊感というものがある。このことを知っているのは、家族以外で春樹を含め三人だけだ。霊感のことを秘密にしてくれて、かつ仲良くしてくれる、世間一般で見ても良い友達に違いない。
 さて、拓人の向かい側にいるのは……黒髪を頭の両側で縛ってツインテールを作った、見た目十代前半ぐらいの女の子の幽霊だ。幽霊にしては、あんまり透けてないようにも見えるけど……普通の幽霊じゃないのか? 服装は、シャツに半袖の上着を羽織り、スカートの下に長いレギンスを履いている。名前は、ゆとせ……百年って言ってたな。

(あんた誰? ユト達のことが見えてるみたいだけど? 拓人君とどんな関係?)
(助けてくれ竜胆! この嬢ちゃんが、ワイに一目惚れしたーっつって、ずーっとついて来るんや!)
「あ、佐渡君、目が覚めた?」

 まずい、気づかれた。というか、同時に話されて何言ってるのか全然わからなかったんだけど。
 足音が近づいてくる前に、俺は唇に立てた人差し指を当て、静かにしてくれとジェスチャーをする。状況を把握した拓人は、自ら囮になって保健室から逃走。百年という女の子は、慌ててそれを追っていった。
 直後、白いカーテンが開かれる。

「意識ははっきりしてる? 君、体育の時間にバスケットボールが顎に当たって、昏倒しちゃったのよ。意識朦朧としてて脳震盪みたいだったし、熱中症にもなりかかってたから、しばらく休ませてたんだけど、いつの間にか寝ちゃってたみたいね」

 そう言って、俺の顔を覗き込んでくるのは、今年新任の保健室の先生である、神流伊波(かんな いなみ)先生だ。長い黒髪を後ろで束ねたポニーテールが、白衣に似合っている。
 新任、公平正大、質実剛健、大和撫子、黒髪美人、才色兼備、他にも理由は色々あるが、とにかく生徒からの人気は高く、有名な先生だ。そのせいで、今年は保健室の利用者数が、例年より増えてるとかどうとか。生徒思いの良い先生だから、当然っちゃ当然なんだけど。

「顎にボールって、それで意識朦朧になるものなんですか?」
「するわよー。顎を叩かれると、脳が揺さ振られるからね。格闘技とかは見ないかな?」

 神流先生の問いに、俺は首を横に振って否定した。あんまり格闘技は好みじゃない。しかし、顎にボールか。どうりで軽い頭痛がするわけだ。多分、春樹はシュートが無理だと判断して俺にボールを戻したんだろう。
 時計を見ると、既に次の授業は始まっている。こうしちゃいられない。ベッドの脇に自分の上履きを見つけ、それを履いて立ち上がる。
 が、まだ完全に体調が回復してないのか、あるいは急いでいてバランスを崩したか、とにかくよろけてしまう。

「危ない、っと。そんなに焦らなくても大丈夫よ。他に誰もいないしね」

 そこで、神流先生に身体を支えられて、どうにか踏み止まることができた。
 って、うお、顔近い!? 慌てて俺は体勢を立て直し、神流先生から離れる。別に恋愛感情を抱いてるわけではないし、誰が見ているわけでもないけど、恥ずかしいものは恥ずかしい。

「やっぱりまだふらつく? 途中で何かあったら危ないし、一緒に教室まで行こうか?」
「いや、大丈夫です。それに、着替えも済んでないですし」
「だったら尚更。えーと、佐渡君は二年一組よね? 担任は……」

 そこまで言ったところで、神流先生は頬を赤くした。
 ああ、そういえば。思い出した、神流先生が有名なもう一つの理由。こっちは内容が内容だから、あんまり広まってないけど。

「神流先生、今のうちのクラスの授業は英語ですよ。晴野先生がうるさいんで」
「晴野先生のことをうるさいなんて思ってないわよ!? いや、そうじゃなくて、その……」

 神流先生、一体何をどうしてそうなったのか、晴野太陽の奴に惚れてるらしい。
 あ、晴野ってのは、イギリス人と日本人のハーフで、うちのクラスの担任であり、英語を担当していて、馬鹿だ。奴に常識は通用しないことが多い。
 確かに、晴野は黙っていればイケメンの部類に入る顔立ちだが……もしかして、神流先生は面食いなんだろうか。
 とにかく、神流先生に見送られて授業参加となれば、後で何を言われるかわかったもんじゃない。申し訳ないと思いながらも、その辺りをうまく口実にして、諦めてもらえば……。




「やあ、竜胆君! 顎にボールがぶつかったそうだが、大事なさそうで何よりだ! これからは気をつけるように! おや、そこにいるのは……伊波先生じゃないか! 竜胆君を送ってくれたのかい?」

 駄目でした。
 どうやら俺に、誘導尋問の才能は無かったらしい。なんで一八〇度逆の結果になってるんだ。誰か教えてくれ。

「い、いえ。私は、竜胆君が、心配で」
「生徒のことを心配するのは、良い先生への第一歩だ! 謙遜しなくてもいいさ、もっと自分に自身を持って!」
「はっ、はい!」

 俺ができる限り存在感を消して自分の席に戻ってからも、まだ茶番は続いている。
 勘弁してくれ。早く授業に戻れ。これ以上騒ぎが大きくなる前に。

「さて、伊波先生。竜胆君を看護し、教室まで見送ってくれたことに改めて礼を言うよ、ありがとう」

 俺のささやかな願いに逆行するように、あろうことか、晴野は教室の外にいる神流先生の手を取り、仰々しく肩膝をついて、その手に口づけをした。
 教室中から、声にならない悲鳴と黄色い声があがる。この事態を引き起こした当の本人である俺は、穴があったら入りたいという言葉の意味を、身を以って理解していた。入ったら入ったで、そのまま埋められそうな気がするけど。

「あ、はい、どういたしまして……それじゃあ、私は保健室に、戻ります……」

 思考回路がショートしたのか、力無い返答をした後、足音が教室から遠退いていく。神流先生がどんな顔をしているかは、想像に難くない。
 何事もなかったかのように授業が再開した後、俺の前の席に座っている春樹が、小声で俺に尋ねてきた。

「なぁ、竜胆。労いの言葉は後にするとして、神流先生と何かあったな? 名前呼びされてたし」
「知るか! 緊張してて、晴野の呼び方に釣られたんだろ!」
「ほーんとーうかー? 神流先生、押しに弱そうだから、保健室でいろいろやってたんじゃーないのかー?」
「んなわけあるか! 漫画じゃあるまいし……どういう風の吹き回しだよ、お前が色恋沙汰に首突っ込んでくるなんて」
「相手が神流先生だしな。いやー、あの人には是非とも被写体になってほしい――っと!」

 突然春樹が前を向き、教科書を持って盾のように突き出す。
 直後、それにバスンと硬いものが当たる音がした。なるほど、晴野のチョーク投げを防御したのか、ナイス!

「甘いですよ晴野先生! 人は日々進歩するもの……てっ!」
「あだっ!」

 と、春樹を心の中で称賛したものつかの間、俺と春樹の頭に別のチョークがヒットした。
 わかったぞ。あいつ、右手でいつものようにチョークを投げて、後ろに回した左手で二本のチョークを上に投げやがったんだ! そこまでやるかおい。つーか、俺さっき脳震盪っぽいの起こしたんですけど?

「そう、確かに人とは日々進歩するものだ、春樹君。だがしかし、注意されてもお喋りをやめない所は、進歩してないようだねっ!」

 晴野がまともなことを言ってるだと!? 明日は雨が降るかもしれない。
 とはいえ、そう言われれば何も反論することはできない。やむを得ず繰り出した俺と春樹の平謝りを合図に、英語の授業は再開するのだった。




 ようやく訪れた昼休み、俺を襲撃するであろう多数のツッコミを回避するために、俺、春樹、怜悧、花梨は、今日に限り屋上で昼飯を食うことにした。この三人が、俺の霊感を知っている友達だ。
 茶髪セミロングにつんとした目付きを持つ女子は、獅堂怜悧。家が神社で、本物の巫女さんだ。俺と同じく霊感があり、幽霊関連の知識は、俺なんかが及びもつかないほど詳しい。ただ、俺に対してはすげぇ冷たい。なんでだ。
 黒髪ショートにくりくりした目を持つもう一人の女子は、観月花梨。空手部所属で、天真爛漫という言葉が良く似合う性格をしている。口調が独特だけど、あくまでも素、らしい。
 談笑しながら、それぞれの弁当を口にする俺達の傍ら、ムスッとした表情で腕を組み、観念したように胡座をかく拓人は、百年に抱き着かれながらも不動を貫いている。こんな拓人初めて見たよ。
 飯を食いながら二人に話を聞き、それを春樹と花梨にも伝える。怜悧いわく、二人の力を借りることになるかもしれないからだとか。
 まず、拓人の方は、ぼんやりと漂っていたら新顔の幽霊がいて、挨拶がてら少し話そうとしたら、いきなり告白されて纏わり付かれたらしい。拓人がどれだけ言っても百年はついて来て、終いに俺の所に助けを求めに来た、ということだ。それが原因であんな目に遭った俺としては、良い迷惑以外の何物でもない。
 そして、百年の方はと言うと、自分のことについては、百年と言う名前しか覚えておらず、幽霊になったのも、ほんの少し前だそうだ。拓人に告白した理由は、乙女の秘密とか言ってはぐらかされた。

(なぁ、怜悧ちゃん。こいつ、普通の幽霊とちゃうやろ。なんか、ワイらとちゃう感じがすんねん)

 頬を突く百年を無視している拓人に対し、怜悧は口の中のご飯を飲み込んでから答える。
 怜悧や俺が幽霊と話していても、見えていない春樹や花梨にしてみれば、独り言を言ってる危ない人にしか見えないはずだ。まぁ、二人にはもう事情を説明してあるし、いつものことだからもう慣れてる、とは思いたい。

「鋭いわね、森島さん。その子は幽霊じゃなくて、生き霊。身体から幽体離脱した状態よ」
(幽体離脱って、あれか? 名前出てこーへんけど、双子の芸人がやっとった)
「幽体離脱といえば、ざ・どっちを思い出すよねー。最近見なくなったけど」
(そう、それや! ナイス花梨ちゃ……)

 花梨の言葉を聞いて、拓人が手を打って花梨の方を見るも、当然花梨には、拓人の姿も見えないし、声も届かない。
 それに気づいた拓人は、バツが悪そうに舌打ちし、百年を自分から押し退けた。こういう拓人を見るのは辛い。

「生き霊になってる間、身体はただ眠っているように見えるけど、実はいろんな機能が衰えてるわ。魂が抜け出た、只の抜け殻になってるから。状態にもよるけど、大体一週間を超えたら、身体と魂が完全に分離して、本物の幽霊になる」
「……つまり、死ぬってことか? だったら、魂を早く身体に戻さないとやばいだろ!」
「そうね。毎晩、幽体離脱して生き霊になる体質の人もいるけど、百年の場合は恐らく、外的な要因で生き霊になってるんだと思うわ」
「外的な要因っていうと、植物状態とか、意識不明とかか?」
「怪我や精神的ダメージで陥った、ね。そういう人を探すのに、春樹や花梨の手を借りたいのよ」

 なるほど、確かにそういう人を探すなら、人手が多いに越したことはない。百年が赤川市内の人とは限らないしな。
 事情を理解した春樹と花梨は、喜んで協力すると言ってくれた。持つべきものは良い友達だ、本当に。

(ユトは別に、拓人君と一緒にいられるなら、このままでもいいんだけど)
(アホ抜かせ。協力してくれる言うんやから、お礼の一言でも言わんかい)
(……拓人君が言うなら……よろしくお願いします)




 その日から早速、俺達はクラスメイトや部活仲間、友達に聞き込み調査を始めた。
 とはいえ、直球で幽体離脱してる子がいるから、意識不明や植物状態になっている人は知らないか、と聞くわけにもいかない。それに近い話題から入って、そこから身近にそういう人がいるかどうか、という話に繋げるのは、思ったよりも難しいし、時間もかかる。俺だけかもしれないけど。
 結局、後で情報をやり取りしてたものの、初日は何の成果も無く終わり、俺は家の居間で暇潰しに夕刊を読んでいた。
 というのも、拓人が百年を野ざらしにするのは気が引けるから、俺の部屋で寝かせてやってくれと頼んできた。断るのは拓人に悪いと思って引き受けたものの、二人でいろいろ話し始め、俺は何となく居心地が悪くなって居間に避難、今に至る。
 なんだかんだ言って、二人の仲はそこまで険悪でもないみたいだ。喧嘩されるよりはずっといい。

「竜胆、そろそろご飯だから、お皿運ぶの手伝ってくれる?」
「わかった、ちょっと待――」

 ちょっと待て今何か見えた気がする。
 母さんの呼びかけを無視し、俺は閉じかけた夕刊を開く。文字の羅列を目でなぞっていくと、さっき見たものが俺の見間違いでないことはわかった。けど、これは……。
 とにかく、みんなに伝えないと。携帯をポケットから取り出そうとするも、中は空。肝心な時に近くにねぇ!
 バタバタと足音を立てて自分の部屋に向かい、扉を勢いよく開け放つ。拓人と百年が驚いたようにこっちを見た。

(びっくりしたじゃん……脅かさないでよ、えーと)
(竜胆や、佐渡竜胆。さっき話したやろ)
(そう、佐渡。佐渡君は、なんで幽霊が見えるの?)
「どうしてって言われても、生まれつきってしか言えないな。で、生きてた頃の事について、何か思い出したことはあるのか?」
(何にも無い。思い出そうともしてないし)

 ずっこけそうになった。

(あのなぁ、絶対に思い出せとは言わんけど、せめて思い出す努力をせぇ)
(だって、ユトは本当に今のままでもいいんだもん)

 普通、幽霊は多かれ少なかれ、生に対して執着しているものだ。少なくとも、俺が今まで出会った幽霊はそうだった。
 なのに、百年みたいに生きてた頃、というか、まだ生きられるかもしれないのに、それに全く興味を示さないのは、何ともまあ……。

(かーっ、生き返れるかもしれんのに今のままでええなんて、贅沢やのぅ。ワイがおらんくなって、一人になったらどうすんねん)
(そんなこと気にしてたら、何もできないじゃん。その時はその時。また考える)

 どうやら、百年は行き当たりばったりな考え方の持ち主らしい。この件に関してはいくらなんでも行き当たりばったりで考えたら駄目な問題だと思うんだが。
 その時、痺れを切らした母さんが俺を呼ぶ声が聞こえる。やばい、すっかり忘れてた。念のため、二人に大声を出さないでくれと言い残し、俺は慌てて一階へと舞い戻った。
 そして、部屋に戻った本来の目的どころか、夕刊の記事を伝えることさえ完全にど忘れしていた。鳥頭だと言われても反論できない。




 翌日の放課後、俺は部活終わりの花梨と春樹、そして怜悧と共に、マグナドルナで百年の件について話し合いをしていた。拓人と百年には無理言って席を外してもらっている。
 春樹、怜悧は収穫無し。俺も聞き込みの方ではそうだったが、昨日の夕刊で見た記事の内容を話す。百年という名前の人がそんなにいるとは考えられないし、生き霊の百年のことで間違いないと思う。更に、花梨が昨日欠席していた空手部の後輩から聞いた話で、その情報が補足される。
 これで大体の経緯は掴めた。でも、はたしてこれを百年に伝えて良いものか。

「これじゃあ……百年ちゃんが生き霊になったのも当然だよ……」
「だよな……同じ状況になったら、俺でも同じことするかもしれない」

 春樹も花梨もポテトをつまみながら、そんなことを言っている。二人とも表情は暗い。
 怜悧は黙ったまま、ホットコーヒーを時々口にするだけだ。テーブルに置いたコップの端には砂糖の細長い袋が三つ、ミルクの入れ物が二つ転がっている。
 そして、俺は大きく息を吐き、机に肘をついて指を組んで、額をそこに置いて俯く。
 百年は、確かに外的要因で生き霊になった。問題なのはその要因が、自殺、だってことだ。
 俺が昨日見つけた新聞の記事は、とある高校の生徒がいじめで自殺、学校側はそれを一切把握してなかった、という内容だった。
 いじめで自殺。それだけならまだ、救いはあっただろう。でも、ここに花梨の聞いてきた話が加わる。
 空手部の後輩が百年の親類であり、その後輩が親から聞いた話によると、最近、百年の両親は不仲であり、離婚寸前の状態なんだそうだ。
 想像でしかないけど、百年はそんな状態の両親に、いじめのことを相談できなかったのだろう。かといって、何も言わずに不登校にでもなろうものなら、それが喧嘩の火種になることは、俺でもわかる。
 正に四面楚歌。追い詰められた百年は、死ぬしか逃げ道がないと思ったに違いない。

「怜悧……どうすれば、いいんだ?」

 困った時はいつも怜悧頼み。情けないと思いながら、俺は顔をあげて、向かいに座る怜悧を見る。
 全員の視線が集まる中、目を閉じている怜悧はコップを手に取り、中身を飲み干してから目を開けた。

「選択肢は、みんなが考えてる通りよ。あの子の望み通り、このまま何も話さないで完全な幽霊になるのを待つか、全部話して、あの子自身の判断に任せるか」
「安易に、頑張れ、生きてれば何とかなるさ、とは言えないよな。余所の家庭事情に口出しはできないし」
「私達じゃ、力になれないよ。本当の辛さは、その人にしかわからないから……それに、このままなら、森島さんと一緒にいられるんだよね? だったら……」
「いや、駄目だ」

 今度は、全員の視線が俺に集まった。気圧されそうになるけど、言わなきゃならない。

「このまま何も伝えずに幽霊になって、それから本当のことを知ったら、ショックで悪霊になるかもしれない。だから、今のうちに伝えなきゃいけないと、俺は思う」

 俺の頭に浮かんでるのは、以前、夏休み半ばに出会った悪霊、黒山仁志のことだ。
 あいつもいじめで自殺して、生きることに対する未練から幽霊に、そして、自分をいじめた奴への恨みで悪霊になって、その復讐を果たした。
 でも、復讐を果たしても、悪霊は見境無く人を殺す。それは許されることじゃない。だから、力を持った人に滅される。
 黒山君は、もうどうしようもなかった。でも、百年はまだ間に合う。助けられる。あんなやる瀬ない思いをするのは、もうたくさんだ。

「でも、竜胆。伝えたとして、それで百年が幽霊になることを選んだら、どうするんだ?」
「それは…………事実を知った上で、そうするのなら、悪霊になることはない、と思う」
「りんちゃん、悪霊がどれだけ危ないか私にはわからないけど、知らない方が幸せってことも、あるんじゃないかな」
「だからって、俺達が伝えなくても、ふとした拍子に知るかもしれないだろ」

 自分の考えがなかなかわかってもらえないイライラを抑えるために、俺は氷が溶けて薄くなったジュースを啜る。無いよりはマシだ。
 その時、俺の視界にガラスをすり抜けてくる拓人の姿が映る。表情は焦っていて、幽霊はよっぽどのことをしない限り息が上がらないはずなのに、肩は上下している。怜悧も気づいた。

(竜胆! ワイが、百年と一緒に、商店街、歩いとったら、テレビであいつのことやっとって、それ見た百年が震え出して、そんで、いきなり走り出してどっか行ってもうた! 多分あいつ、全部思い出したんや! 追っかけるか、お前らに言いに行くか悩んで、どこにおるか探しとったんやけど、こない時間かかるなんて……百年を追っかけるべきやったかもしれん。あいつ、怯えた顔しとったし……)
「わかった、すぐ探しに行くわよ。春樹、花梨、百年が記憶を思い出したみたい。春樹は私と、花梨は竜胆と一緒に探して。見つけたらすぐ相手の携帯に連絡して。森島さん、百年がどっちの方向に行ったかわかる?」
(え、あ、そやな……商店街の西出口の方やと思うわ)
「商店街の西出口方向ね、行くわよ。森島さん、走りながらで悪いけど、百年のことについて説明するわ。それから別れて探しましょう」

 嫌な予感ほど良く当たるってやつか。にしたって、早過ぎるだろ!
 俺達は慌ただしく、残ったハンバーガーやポテトを鞄に押し込み、ゴミをゴミ箱に放り込んでから、道案内する拓人を追って商店街の方へと駆け出す。
 店を出てすぐ、俺は怜悧に小声で尋ねる。

「怜悧、もし百年が悪霊になったら――」
「その時は、私の役目を果たすだけよ」

 それだけ言って、怜悧は拓人に百年のことを話し始める。もう口を挟む余地はない。
 わかってる、怜悧は正しい。でも……くそっ、間に合ってくれ!




 商店街から離れた、人気の無い小さな公園。
 まだ季節的には夏とはいえ、既に辺りは暗闇に包まれている。その中で、百年は電灯に照らされたベンチの上で足を抱え、そこに顔を埋めている。
 そこに、人影が現れた。

(こんな所におったんか、探したで)
(拓人君……)

 百年が顔を上げると、そこにはバンダナを外した、呼吸の荒い拓人がいた。よほど焦っていたのだろう。額には、汗が浮かんでいる。
 拓人は百年の姿を認めると、安心したように大きく息を吐き、百年の隣に腰を下ろす。

(拓人君は、どこまで知ってるの)
(怜悧ちゃんから、大体のことは聞いたわ)
(そう、なんだ)
(……辛かったな)
(うん。でも、ユトがいじめられた原因、今ならわかる。何となくだけど。ユトの喋り方って、自分で言うのもなんだけど、普通とは違うじゃん? 自分の呼び方も、子供の頃の癖が直ってないから、ユト、って言うし)
(ワイはあんま、気にならへんけどな)
(気になる人の方が多かったみたい。それで、ユトがターゲットになっちゃった。いじめも辛かったけど、それと同じくらい、お父さんとお母さんが喧嘩してるのが辛かった。なんでああなっちゃったんだろ。ユトが、子供の、頃は、あん、なに仲良し、だったのに)

 そう言って、泣きじゃくりだした百年の背中を、拓人が叩く。いっそう、声が強まる。

(えっ、ぐ、たくとくんは、ゆとに、どうしてほしい?)
(な、なんのこっちゃ。つーか、無理に喋らんでええで)
(いきてほしい? いなくなってほしい? いっしょにいてもいい? どうしていいかわかんないよ)
(……どうしてほしい、か……ちょっと長くなるけど、ええか。ワイは口下手やさかい、うまく言えへんかもしれんけど)

 拓人がそう尋ねると、百年は鼻をすすって頷く。

(結論から言うで。ワイは、百年に生きてほしい)
(…………)
(百年が嫌いやから、ってわけやないで。ワイは、交通事故で幽霊になった。それは話したな。初めは、ほんっまに悲しくて、悔しかった。ワイはフリーターやったけど、まだまだやりたいことが一杯あったし、親にも迷惑かけっぱなしで終わってもーたからな)
(ゆとだって、そうだよ)
(やろうな。でも、お前はまだ、やり直しが効くんや。今やったらまだ、生き返れるんや)
(……でも、いきかえったって、おかあさんとおとうさんはけんかばっかりだし、がっこうでもいじめられるし、いいことなんてなんにもじゃん)
(お前は、自分がいじめられてるっちゅうことを、オカンとオトンに言うたんか?)
(いえるわけないじゃん! ばかじゃないの!? そんなことしたら、またけんかしちゃうじゃん!)
(……そうか、言わんかったんか……こんの、ど阿呆!)

 百年の言葉に、拓人は思わず立ち上がり、拳固を彼女の頭に叩き込む。
 先程と違い、疲労ではなく、興奮で拓人の呼吸は荒くなっている。突然のことに、百年は泣くのも忘れて、呆然とした表情で拓人を見上げる。

(ええか、そもそもワイからしたら、自殺ってのがありえへんのや! なんで死ぬ勇気があって、誰かに泣きつく勇気が無いねん! なんで自分の気持ちを押さえ込む努力ができて、別の道を探す努力ができへんねん! 死ぬなら、やるだけのことやって、どうしようもなくなってから死ねや!)

 一気にまくし立て、拓人は大きく呼吸をする。
 幽霊は酸素を必要とするわけではないが、それでも喋り続けるのは辛い。それに、一度気持ちを落ち着ける必要があると、拓人は考えた。

(殴ってすまん。でも、聞いてくれ。幽霊なんて寂しいもんや。未練がわからんかったら成仏できへんし、竜胆みたい霊感のある奴以外とは、誰とも話せへん。誰も自分のことを見てくれへん。ほんっまにつまらん。幽霊仲間はあんまおらんし、生きてる時の記憶が無くて、自分が何者かわからんから、会話が成り立たん奴もおる。時々、ワイも自分が曖昧になって、何が何だがわからんくなる時あるしな。それに、見境無く人殺しする、悪霊になる奴もおるっちゃおる)
(だったら、なんで拓人君は、幽霊やってるの?)
(ワイは、望んで幽霊なったわけちゃうけど……なんでやろな、なんか、未練があるんやろな)
(なにそれ……意味わかんないじゃん)
(幽霊ってのはそんなもんや。それに、確かに竜胆達とおるのは楽しいけど、ワイは何も変わらんのに、あいつらはどんどん成長しよる。それも、なかなかキツイ。お前もそのままやったら、つるぺたのまんまやぞ)
(それは、嫌、かな)

 百年は自分の身体に視線を落とし、拓人の冗談に笑みを浮かべて返す。
 気持ちは、大分落ち着いていた。

(やろ? やったら、生き返らなな。目ぇ覚めたら、とりあえずオカンとオトンに相談せぇや)
(でも……二人とも喧嘩ばかりしてて、ユトのことなんて、どうでもいいって思ってるに、違いないじゃん)
(喧嘩してる時は、相手しか目に入らんからな。多分やけど、お前がなんも相談せんから、学校で普通に友達とワイワイやってると思い込んで、ほっといても大丈夫やって思っとったんちゃうか。でもま、案外お前のことで、二人とももう、喧嘩やめてるかもしれんで)
(でも、そうじゃなかったら……)
(泣きつけ。オカン、オトン、喧嘩せんとって、ってな。うまく行くかわからんけど、やらんよりマシやろ。大抵の親は、子供のことが大事なもんや。そうでない奴もたまにおるけどな)
(……うん、そうする。やってみる。学校の方は、どうしよう)
(いじめっ子共と戦えるんやたっらええけど、それが無理なら、転校なりやめるなり、好きにしたらええ。高校は定時制でも通信制でも学歴は取れるし、フリーターでもしんどいけど、生きてけるわ。夢を叶えるんやって、遠回りになるやろけど、諦めんかったらできる。人間は何処にでも行けるし、何にでもなれるんや。諦めずに努力したらな)
(でも、そういうさ、夢を追いかけてる人はよく、社会はそんなに甘くないって言われてるじゃん。漫画とかで)
(んなこと気にしてたら、なんもできへんやん。失敗したらそん時はそん時や。また考えればええ)

 昨日の自分と同じことを言っている拓人の言葉を聞いて、百年はクスリと笑う。

(……ねぇ、拓人君。もしユトが大人になって、拓人君好みのボンキュッボンのお姉ちゃんになってたら、その時はユトを彼女にしてくれる?)
(なんや、いきなり……そうやな、はいって言ったらお前、また自殺しそうで怖いから、やめとくわ)
(そこは嘘でも、はいって言ってよ。傷つくじゃん)

 そう言って膨れる百年を見て、拓人はもう、彼女は大丈夫だと思った。
 いつの間にか、汗が引いている。拓人は暑いと言う理由で外していたバンダナを取り出し、頭に巻き直す。やはりこれが無ければ、落ち着かない。
 すると、百年がすくっと立ち上がり、拓人に近づく。

(じゃあ、最後に一つだけ……)

 なんや、と尋ねようして、拓人は言葉に詰まる。
 拓人の首に手を回し、上目使いをする百年の目は、泣きじゃくったせいで赤くなり、潤んでいる。思わず、見取れてしまう。
 そして、百年は精一杯背伸びをし、拓人と唇を重ねた。
 ほんの僅かな間だったが、感触ははっきり残っている。百年は、目だけでなく、頬も赤くなっていた。

(えへへっ、ユトの初めて、貰ってくれてありがとう。ユト、頑張ってみるよ。拓人君のこと、忘れない。バイバイ)
(ま、待てや百年! だったら最後にワイも聞かせろ! なんでお前、ワイに一目惚れしたんや! おい!)

 そう言い残した生き霊である百年の身体は、拓人の問いに答える間も無く、すーっと透けて、消えた。小悪魔な笑顔と共に。
 後には、唇を指で押さえ、呆然としている、幽霊の拓人だけが残った。




 合流して互いに成果無しとわかった俺達は、百年が悪霊になってる可能性を考慮して、全員で固まって動いていた。
 そして、辺りに気を配りながら進んでいると、近くの公園で拓人を見つけた。電灯の下で気の抜けた表情をしている拓人に、何かあったことは間違いない。

「拓人! 大丈夫か!? 百年はどうしたんだ!?」

 焦っていて大分荒々しい聞き方になったけど、そんなことは言ってられない。
 呼びかけられて初めて俺達の存在に気づいたのか、拓人はゆっくりと俺達の方を見る。

(ああ、竜胆か……百年は、行ってもうたわ)
「行ってもうた。ってことは、百年は、生きることを選んだのか?」
(そうや)

 それを聞いた俺は、情けなく息を吐いて、地面に座り込む。張り詰めていた緊張の糸が切れた。よかった、何事も起こらなくて。百年が悪霊にならなくて、本当によかった。
春樹と花梨も俺と同じような感じで、怜悧はどこか、安心したような表情をしている。
 そして、沈黙がしばらく続いた後、拓人は何故か赤くなっている顔を押さえて、搾り出したような声で言った。

(百年のアホ……ワイも、初めてやったんやぞ……)




 こうして、この事件は無事一件落着、したかに見えた。
 百年がいなくなり、拓人の様子がおかしくなってから一週間ばかり経った日。
 いつも通りめんどくさいホームルームの時間、いつもハイテンションな晴野が、いつも以上にハイテンションで教室に入ってくる。

「ハッハーイ! グッドモーニング、愛する一組のみんな! 早速だが、今日は新しい仲間を紹介するよ!」

 新しい仲間……ってことは、転校生ってことか? 珍しい。転校生とか、人生で一度しか見たことないぞ。
 晴野に呼ばれて、緊張した表情で教室に入ってきたのは、黒髪ツインテールの、いろいろ小さな女子だった。左手首には、拓人の物に似た赤いバンダナを巻いている。
 うん、あの子なんか、見たことあるな。ってあれぇ!?

「初めまして、寝屋川百年(ねやがわ ゆとせ)です。えっと、ユトのことを知ってる人もいるかもしれないけど、そのことにはあまり、触れないでくれると嬉しいです。よろしくお願いします」

 黒板に書かれた名前を見て、俺は吹き出しかけた。寝耳に水、とはこのことだ。
 百年……寝屋川と呼ぶべきなのか? とにかく、まさか赤川高校に転校してくるとは思わなかった。いや、花梨が話を聞いた後輩が、百年の親戚って言ってたから、可能性としては考えられただろうけど。
 ……うん、ここは素直に、百年が生きる道を選んだことを喜ぶべきなんだろうな。よかったよかった。うちのクラスには花梨もいるし、赤川高校自体治安がいいから、いじめが起こることはないに違いない。
 ところで、百年に生き霊だった頃の記憶は残ってるんだろうか? 後で聞いてみよう。
 その時、俺がふと窓の外を見ると、暇潰し目的で学校を覗きに来ていた拓人が、木から滑り落ちるのが見えた。


© Rakuten Group, Inc.